ヒストリー

過去に雑誌、新聞などに登載された記事などをまとめました。
年代別に分けてありますのでご覧ください。



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スポーツ報知より
2011年7月20日

MCハマーからエール 松井
国歌独唱内定 演歌歌手  加納吾朗にもエール


ア軍でバットボーイ
 かつて一世を風靡(ふうび)した米ラッパーのMCハマー(49)が、19日から敵地でタイガース2連戦を迎えるアスレチックス・松井秀喜外野手(37)に“演歌の魂”を込めてエールを送った。
 デビューする前の1973年〜80年にア軍のバットボーイを務めたハマーは、17日のエンゼルス戦で始球式に登場。「松井は経験もあるし、プレッシャーのかかる重要な場面で打ってくれる男。より得点を挙げることが大切になる後半戦は、松井こそ打点を叩き出してくれる」と
語った。ハマー世代の松井も「少しあいさつできてよかった」と喜んだ。
 ダメージ加工されたボロボロの革ジャンで現れた従来のカリスマ。その言葉には、日本への愛情がにじんでいた。90年に発売された
セカンドアルバム「プリーズ・ハマー・ドント・ハーテム」が世界で1000万枚超のメガヒットを記録。だが、浪費と人気の低迷から96年に
自己破産に追い込まれた。そんな今でも東京ドームなど3度の来日公演などで思い出深い日本を「最も親近感が湧く愛すべき国」といい、東日本大震災の支援にも尽力しているという。
                                                ハマーは、ア軍本拠地での国歌独唱が内定した日本人演歌歌手の加納吾朗にも熱いメッセージを送った。加納は吉幾三のマネジャーを
                                                23年務めた後に、09年に「ばかだから…」で再デビューした60歳。約40年前に歌手修行したサンフランシスコで震災の慈善公演も
                                                行っている。ハマーは同じ苦労人の身として「Sing form the heart。魂込めて歌うんだ。一生懸命歌い続ければ、どんな夢もかなう」と
                                                力強く語った。
                                                 ハマーから大和魂を注入され、松井は出場23試合足踏み中の日米通算500本塁打に“キャン タッチ”です。




スポーツニッポンより
2011年7月20日

松井ハマーのエールに感激

 松井が前日のエンゼルス戦で始球式を行った歌手のMCハマー(49)から激励された。「彼は屈指のトッププレーヤー。
見ていてワクワクする。より得点力が重要になる後半戦は、打点を稼ぎまくってくれると思う」。松井も「少しあいさつができてよかった」と喜んだ。ハマーは今季中のア軍戦での米国国歌独唱に内定している演歌歌手・加納吾朗(60=徳間ジャパン)にもエール。
サンフランシスコで東日本大震災のチャリティーコンサートなどに励む加納に「魂を込めて歌ってほしい」と語った。




中スポより
2011年月20日

松井ホームゲーム
日本人歌手国歌独唱


 サンフランシスコ郊外で活動する日本歌手、加納吾朗さん(60)が、松井が所属するアスレチックスのホームゲームの試合前に国歌を独唱することになった。
日程は調整中。吉幾三のマネジャーを22年間務め、東日本大震災の復興にも熱心な活動を見せる加納さんに、17日の試合で始球式に訪れた
米歌手MCハマーさんも「心で歌ってほしい。がんばって」とエール。低迷する松井やチームを元気づけられるか。








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週刊スポーツJより
2011年4月29日

加納吾朗さん
東日本大震災チャリティーディナーショー開催

アスレチックス国歌斉唱に起用を検討


 4月17日、サンフランシスコのレストラン山昌で歌手の加納吾朗さん(徳間ジャパン)が東日本大震災の被災者のための
チャリティーディナーショーを開催した。40年ほど前、サンフランシスコ日本町のクラブ錦で専属歌手として歌っていた加納さんは
4月10日、北加桜祭りの歌謡パレードに特別出演、久しぶりに自身「第二の故郷」と言うサンフランシスコのステージに立ったほか、
シニアセンター慰問など精力的に活動し、チャリティーディナーもその一環だった。
 山昌でのチャリティーディナーは山昌のオーナー山田昌吾さん、サンフランシスコ歌謡研究会の福田充彦さんと柏原紀子さんの
発案に加納さんが「是非とも」と応じて実現した。当日は約70名のファンが集まり、加納さんはオリジナルからスタンダードナンバーまで
1時間以上にわたり熱唱、最後にはファンが輪になって踊るというたいへんな盛り上がりのうちにショーの幕を閉じた。
来米前にも東京でチャリティー活動を行っていた加納さんは「皆さんと一丸となってアメリカからも『がんばろう日本』のメッセージを
おくることができてとても嬉しいです」と語った。加納さんは収益金のほとんどに自身の寄付を加えて義援金として北加日米会を通じて、
宮城、岩手、福島の各県庁に寄付した。
    加納さんは4月11日に気持ちホーム、4月13日にハミルトン・シニアセンターと心などのシニアホームを訪問した。ホームには入居者のお年寄りばかりでなく、歌謡パレードに来られなかった人も集まり、
    ここでも会は大いに盛り上がった。加納さんの歌う歌にはお年寄りの皆さんは「来年も必ず来てね」と涙ぐんでいた。加納さんは「皆さん真剣に聴いて下さって、こちらのほうが逆にパワーを頂きました」と語った。
     そして、このように第二の故郷でチャリティーや慰問に取り組む加納さんにビッグな話が舞い込んだ。大リーグ・アスレチックスが試合前の国歌斉唱に加納さんの起用を検討していることが明らかになったのだ。
    加納さんがサンフランシスコと40年の関係を持ち、東日本大震災の被災者の支援活動を行っていることから白羽の矢が立った。実現すれば、国歌斉唱に日本人の演歌歌手が起用とは極めて異例の事だ。
    加納さんは「お話に大変びっくりしています。実現したら人生かけて歌いたいと思います」と感激を語っている。国難とも言われる大震災の復興に向けてENKAが日米の絆を深めるかもしれない。




週刊ベイスポより
2011年4月29日

演歌歌手の加納吾朗氏

ディナーショー収益金を北加日米会に寄付


 桜祭り歌謡パレードに特別出演した演歌歌手の加納吾朗氏が、先日行われたチャリティーディナーショー(於:山昌レストラン/サンフランシスコ)での
収益金を東日本大震災の義援金として北加日米会に贈呈した。サンフランシスコを訪れている加納氏は、その他にも気持ちホーム、
Hamiltonシニアセンター、KOKOROなどの老人ホームを訪問し、歌を披露するなど交流を図った。なお、同氏の桜祭りでの人気ぶりや、
サンフランシスコでの経歴に注目した大リーグのオークランドアスレチックスが、国歌斉唱の歌い手として検討を始めるなどのニュースが、
日本でもトップ報道され話題を呼んでいる。


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週刊ベイスポより
2011年4月22日

歌手 加納吾朗さん
「ずっと歌い続けたい」


 10日に行われた桜祭り歌謡パレードで40年振りの凱旋公演を果たした加納吾朗さんが17日、サンフランシスコにあるレストラン「山昌」で東日本大震災被災者へのチャリティーディナーショーを開催した。「山昌」オーナーの山田さんと福田SF歌謡研究会会長、そして加納さんの企画によるもの。チャリティーショーには70人のファンが集まり、フィナーレでは会場のお客様が加納さんを囲み輪になって踊ってと、大盛況のうちに幕を閉じた。ショーの前に加納さんに話を伺った。

10日の歌謡パレードはいかがでしたか?

 公演のあと、慰問で3カ所訪れたのですが、どこに行っても「コンサートよかったよ」と握手攻めでした。ステージで泣いた歌手は44回の歴史の中で私が初めてだったらしいです。あの時は今回の公演を影で支えてくれた方々の顔や、異国の地で頑張っている会場の皆さんを見たら、熱いものがこみ上げてきてしまって。私自身が感動をもらいました。

今回のチャリティーコンサートは?

 山田さんと福田さんの企画です。僕も二つ返事で協力させていただきました。先程、桜祭りのパレードを見たのですが「本当に日本人に生まれてよかったな、日本の文化はいいな」とまた胸が熱くなりました。今日お越しの皆さんにもこの思いが届くように、精一杯歌わせてもらいます。

加納さんの今後の目標をお聞かせください?

 歌うことをずっと続けられればいいと思ってます。今回のように、海外から僕を呼んでくれる人が居る。そして一緒に泣いてくれる人がいる。こんな幸せは多分、地元の同級生は味わえないことですよ(笑)。一日一日、そして長く続けていきたいです。


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サンケイスポーツより
2011年4月20日

演歌歌手計画
松井ア軍戦の国歌斉唱


米大リーグ、アスレチックスが試合前の国歌斉唱にサンフランシスコで修行を積んだ演歌歌手、加納吾朗氏(60)の起用を検討していることが分かった。
松井秀喜外野手(36)も応援しており、実現すれば超異例の抜擢(ばってき)となる。


40年以上の関わり

 メジャーの全会場で行われる試合前の国歌斉唱。通常は米国人が歌うが、アスレチックスが演歌歌手に興味を示した。
 「この地域(湾岸エリア)と40年以上の関わり合いを持ち、東日本大震災を支援する活動を行っていることに、球団として縁を感じる。前向きに検討したい」
(球団関係者)と、加納吾朗氏に白羽の矢を立てた。40年前にサンフランシスコの日本街で修行を積んだ加納氏は帰国後の1979年に歌手デビュー。
86年からは23年間、吉幾三の付き人を務めた。
 加納氏は、17日(日本時間18日)に日本街で開催された震災復興のチャリティーイベントに参加。これを知ったア軍はさっそく打診し、5月中にもデモテープを
受け取って本格的に検討することになった。
 演歌歌手が起用されれば超異例のことで、「歌わせていただけるなら、60年の人生をかけてやりたい」と加納氏。松井も「そんな方がいらっしゃるんですか。
しっかり頑張ってほしいですね」と応援している。


優秀な歌い手を

 ◆アスレチックスのスペシャル・イベントコーディネーター(国歌斉唱担当者)、キャロライン・グリグスさん 「優秀な歌い手は常に求めています。狭き門ですが、多彩な演出をしてくれる人材を探しています」


日刊スポーツより
2011年4月20日

ア軍本拠で邦人演歌歌手起用へ
松井エール「頑張って」


 松井秀喜外野手(36)所属のアスレチックスが、今季ホーム戦の国歌斉唱で日本人演歌歌手の起用を検討していることが分かった。
候補者は加納吾朗(60)。60年代にサンフランシスコで歌手修行を行い、現在も同地などで東日本大震災のチャリティー活動に励む姿が
ア軍関係者の目にとまった。球団関係者は「日本のソウル(魂)を歌う方がここの地域と40年以上の関係を持ち、東日本大震災を支援する
活動を行っていることに、アスレチックスとしても縁を感じる。前向きに検討したい」と関心。加納は79年にデビュー後、吉幾三に師事して
マネジャーなどを22年間務めた。「もし歌わせていただけるなら、60年の人生をかけてやりたい」と話す。松井は「しっかり頑張って欲しいですね」
とエールを送った。


スポーツニッポンより
2011年4月20日

ア軍国歌斉唱に演歌歌手!?
松井効果で集客増狙う


加納吾朗60歳
歌を学んだ地&震災支援で“縁”


 松井効果で集客増を狙うアスレチックスが、試合前の国歌斉唱に日本人演歌歌手を起用する可能性が出てきた。
候補に挙がるのは、「ばかだから…」などを歌う加納吾朗(60=徳間ジャパン)。60年代後半にサンフランシスコで歌を学び、
今月17日にも同市内で東日本大震災チャリティーコンサートを開くなど、現地日本人に知名度が高い。
 ア軍関係者は「湾岸エリアと40年以上関わり合いを持ち、東日本大震災の支援活動を行っていることに縁を感じる」と話した。
今後デモテープを聴いて合否が決まるが、加納は「60年の人生をかけて歌いたい」と意欲を見せ、一方を聞いた松井も
「頑張ってほしい」とエールを送った。


スポーツ報知より
2011年4月20日

松井に援軍!!演歌歌手!!
ア軍が加納吾朗に国歌斉唱オファー



 松井秀喜外野手(36)所属のアスレチックスが、今季の本拠地の国歌斉唱で日本人演歌に異例のオファーを検討していることが分かった。
 城派の矢が立ったのは、約40年前に、日本人メジャー第1号・村上雅則(ジャイアンツ)が活躍した時代のサンフランシスコで歌手修行を積んだ加納吾朗(60)。
79年にデビューもヒットに恵まれず、吉幾三のマネジャーを23年間務め、09年にデビュー30周年記念曲「ばかだから…」でステージ復帰した苦労人だ。
 10日に第二の故郷である現地で東日本大震災の慈喜コンサートに出演したのが、復興に尽力するア軍の共感を呼んだ。「日本の魂を歌う方が、
このベイエリアと40年以上の関わり合いを持ち、被災地支援の活動を行っていることにチームとしても縁を感じる」と球団関係者。
国歌斉唱では優秀な歌い手と多彩な演出を求めており、「前向きに検討したい」と打診の意向を示した。
 伝え聞いた松井は「そんな方がいらっしゃるとは知りませんでした。頑張っていただきたい」とエール。
加納は「60年の人生をかけたい」。星条旗に向かってコブシを利かせる。














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週刊ベイスポより
2011年4月15日

歌謡パレード

爽快に自慢の喉を披露

 第44回桜祭り第1週目、毎年恒例の「歌謡パレード」がサンダンスカブキシネマで開催され、ベイエリアをはじめ、バンクーバーやロサンゼルスから
集結した40名近い参加者が1部と2部に分かれ、自慢の喉と踊りを披露した。参加者は思い思いのステージ衣装を身にまとい、スポットライトが当たる中、
歌に踊りと1年の成果を思う存分出し切った。
 今年のスペシャルゲストは、40年前に日本町クラブ錦で1年間専属歌手として歌っていた加納吾朗さん(徳間ジャパン)が登場。ベイエリアのカラオケクラブ、
そして40年来の友人から2年越しで要請を受け、今年の出演が実現した。ピンクのタキシードで登場した加納さんはMCも板についており、あっという間に
会場に溶け込んだ。1曲目は1882年に芸名を加納吾朗に改めて再デビューした曲「巷の女」、22年間マネージャーを勤めた吉幾三さんの「秋風」等6曲を歌った。
 途中スペシャルパフォーマンスとして、山田昌吾さんが十八番の「河内音頭」を披露した。後半再登場した加納さんはスパンコールの衣装で現れ、
会場に降りて歌いながら観客一人ひとりと握手した。途中、故郷の母の姿が頭をよぎったと涙ぐむシーンもあり、会場からは「泣くな!がんばれ」と声援が飛んだ。
ラストは、デビュー30周年記念曲「ばかだから…」を歌い、歌謡パレードはフィナーレを迎えた。



週刊スポーツJより
2011年4月15日

歌謡パレード 加納吾朗さんを迎えて

 10日、桜祭り恒例の歌謡パレードがサンダンス・カブキ・シネマで開催された。今年の特別出演は加納吾朗さん(徳間ジャパン)。
加納さんは約40年前、サンフランシスコ日本町のクラブ錦で専属歌手として歌っていたこともあり、今回は里帰り公演となった。
会場には顔馴染みも多く、歌いながら感極まって涙を見せる場面も。加納さんは「お客様を感動させなければいけないのに
自分が感動させられてしまいました」と語った。また、「歌の祭典」と題された第1部は今年も歌自慢の方たちがマイクを握り、会場を沸かせた。











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週刊スポーツJより
2011年3月11日

祝 第44回北加桜祭り歌謡パレード 特別出演 加納吾朗さんのインタビュー

4月10日(日)、サンフランシスコ日本町 Sundance Kabuki Cinema で開催される北加桜祭り歌謡パレードに歌手の加納吾朗さん(徳間ジャパン)が
特別出演する。
 1979年に「森優士」の名で歌手デビュー、その後吉幾三さんのマネージャーを23年間務め、2009年デビュー30周年記念曲「ばかだから…」で
歌手活動を再開させた苦労人だ。今、「ばかだから…」はジワジワと人気を集め、加納さんは「第二の秋元順子」とも言われている。
また、加納さんはサンフランシスコを「第二の故郷」と言うほど当地と縁が深い。


歌手を夢見た青少年時代。

 鹿児島県いちき串木野出身の加納さん。歌好きの一家で育ったことが歌手加納吾朗の原点だ。「祖母が町一番の歌い手なんて言われて、
子供の名付け祝いなどに呼ばれて歌っていました。父親も歌が上手で、民謡歌手の浜田喜一さんが「さのさ節」をレコーディングするときには
教えを乞いにきたことが自慢でした。」加納さんのそばにはいつも歌があった。「私も子供の頃から歌が好きでよく歌っていました。
歌を歌うと大人が『上手だね』ってキャンディくれたりするわけですよ。『歌うたうといいことがあるんだな』と子供心に思いましたね」と加納さんは笑う。
 そんな加納少年の心の中に歌手への夢が膨らんでいった。「鹿児島出身の西郷輝彦さんがデビューして一躍スターとなっているころで、
自分も中学卒業したら東京に出て行こうと思っていました。そしたら兄(現在鹿児島県いちき串木野市長たばた誠一氏)が作曲家の遠藤実先生の
ところに連れて行ってくれたんです。先生は私の歌を聴いて下さって、『きちんと基礎を勉強しなさい。それから高校は行っておきなさい』と
アドバイスしてくださいました。」
 遠藤先生のつてで鹿児島大学の先生のもと音楽の基礎を勉強した。その一方でクラブのステージにも立つようになる、「高校3年生のときに
伯母の関係で鹿児島のクラブエンパイヤのバンドマスターを知り、週末はクラブで歌うようになりました。もちろん、学校には内緒です。」
クラブエンパイヤは森進一や錦野旦らを輩出した名門だ。


歌手デビュー

高校を卒業した加納さんは西崎舞踊団に入り全国を巡業し、クラブエンパイヤの専属歌手となる。加納さんの雌伏の時代だ。「歌手になるなら東京へ」という思いはあったが、作詞作曲家の猪俣公章さんらから
「歌の上手いヤツは東京にはゴロゴロいる。地方で地道に頑張りなさい」と言われた。そして徳間音楽工業のオーデションに合格、1979年についにデビュー。芸名は「森優士」、デビュー曲は五社競作の
「愛ちゃん」だった。
 しかし、デビューしたらそれで煌びやかなスポットライトを浴びるというわけではない。1982年に芸名を加納五郎に改め、「港の女」で再デビュー。たったひとりで全国のスナック5000店を巡った。
吉幾三さんとの出会いはその頃のことだ。「吉さんと私はレコード会社の同じディレクターさんの担当だったんです。」加納さんを気に入った吉さんは自身の持っていたラジオ番組で加納さんの曲をかけ、
事務所にも呼んでくれた。加納さんは吉さんの「一番弟子」となった。
 その後、加納さんは吉さんのマネージャーとなる決心をする。「吉さんを見ていて『俺なんかが歌っちゃいけないな』と思ったんです」と言う。「歌い手は歌ばかりじゃありません。曲と曲とのつながりというものも
考えなければいけませんし、勉強することがたくさんあります。」以来23年、加納さんは歌の世界を裏方の立場から見続けてきた。もちろん、歌を忘れたわけではない。吉さんの前歌も務めた。
「仕事でビジネスホテルに泊まっているときに朝発声練習するんですが、フロントから電話がかかってくるんです。『お隣のお客様から、変なお経をやめて欲しいとクレームが入っています』って(笑)。」


いまだから歌える歌を

 歌謡界に身をおいて30年。加納さんの心にひとつの思いがあった。「私の人生も競馬で言えば第4コーナーを曲がって直線に入ったところ。これまで応援してくださった方に好きな歌でご恩返しして
一人でも多くの方に喜んで頂きたい。」加納さんは2008年に吉さんの事務所から独立、「ばかだから…」を発売。「私、CDを出していないんですよ。デビューの頃はまだレコードでしたから。
今はCDじゃないと有線もかけてくれない。それも悔いになっていました。」
 「今だからこそ歌える」という気持ちもある。「歌に感情を込めるにしても若い頃はテレもありましたし、どこかわざとらしさもあった。しかし、今はイントロを聴くと自然にすうっと曲の世界に入ってゆける。」
年齢と経験を重ねた結果、歌と自分との間の夾雑物がなくなり、精神的な余裕ができた。「以前は『1枚でも多く売りたい』と言う気持ちがありましたが、今は一人でも多くの方に聴いて頂いて喜んで頂きたいと
思います。人からは『商売っ気がないね』なんて言われますけど(笑)。私は歌謡界の裏も表も知っています。私は分相応に身の丈にあったやり方で地道に歌っていきたいと思います。」


第二の故郷、サンフランシスコで

 加納さんとサンフランシスコのつながりは深い。加納さんは約40年ほど前、サンフランシスコ日本町のクラブ錦(錦子ママ、朝子ママ)で専属歌手として1年ほど歌っていたことがある。「当時、猪俣公章先生や
浜口庫之助先生はサンフランシスコに来られると錦に行ってらっしゃいました。そんな関係で私に『サンフランシスコに来ないか』という声がかかったんです。特に私の親友でプライベートの
カラオケクラブ(サンフランシスコ歌謡研究会)の会長でペコメロディークラブの会員の福田充彦さんと出逢ったのもその当時でした。また、その頃からお付き合いのある井之すしご夫妻や槇レストランご夫妻、
詩吟の浅野先生、幸ちゃん、ポコちゃん、紀子ママ、元領事のいせりご夫妻などいろんな皆様にお世話になって私は私は幸せものです。特に今回は谷口博文先生と昭代さんにはとてもお世話になっています。
北加歌謡連合会(堀切忍会長)の皆様、Izumiya' Yamashoの山田ご夫妻、鹿児島県人会の皆様、いちき串木野市の姉妹都市サリナスの皆様、ならびにSportsJ' 月刊もん、フジテレキャストのメディアの方にも
ご協力頂きました。多くの皆様が歌手活動再開に向けてあたたかく迎えて応援してくださり、言葉では表せない程感謝しております。2009年にはアラメダ歌謡クラブの歌謡ショーにご縁で飛び入り出演させて
頂いた際には黒木会長、山崎さんにも大変お世話になりました。この時に歌った「ばかだから…」と「惚れた女は死んだ夜は」は現在Youtube で放映されてもう1万回近いアクセスがありますが、
マックス飛田さんにもその際お世話になりました。」
 加納さんは昨年故郷の串木野に錦を飾った。いちき串木野市市民文化センターで「加納吾朗チャリティーコンサート」を開催したのだ。1000人の会場に1200人の観客が詰めかけた。「客席を見て、一瞬会場を
間違ったんじゃないかと思いました。」そしてサンフランシスコの桜祭り。「私にとって、串木野のコンサートに続く念願の一大イベント。全神経をこれに集中させています。一人でも多くの方にいらして頂いて、
『よかった』と言って頂けるように心を込めて歌いたいと思います」と加納さんは抱負を語っている。鹿児島出身の加納さん、ステージではおはら節を歌ったり、千昌夫の「味噌汁の詩」を鹿児島弁で歌ったりと
趣向も考えているという。


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スポーツ報知より
2011年7月20日

MCハマーからエール 松井
国歌独唱内定 演歌歌手  加納吾朗にもエール


ア軍でバットボーイ
 かつて一世を風靡(ふうび)した米ラッパーのMCハマー(49)が、19日から敵地でタイガース2連戦を迎えるアスレチックス・松井秀喜外野手(37)に“演歌の魂”を込めてエールを送った。
 デビューする前の1973年〜80年にア軍のバットボーイを務めたハマーは、17日のエンゼルス戦で始球式に登場。「松井は経験もあるし、プレッシャーのかかる重要な場面で打ってくれる男。より得点を挙げることが大切になる後半戦は、松井こそ打点を叩き出してくれる」と
語った。ハマー世代の松井も「少しあいさつできてよかった」と喜んだ。
 ダメージ加工されたボロボロの革ジャンで現れた従来のカリスマ。その言葉には、日本への愛情がにじんでいた。90年に発売された
セカンドアルバム「プリーズ・ハマー・ドント・ハーテム」が世界で1000万枚超のメガヒットを記録。だが、浪費と人気の低迷から96年に
自己破産に追い込まれた。そんな今でも東京ドームなど3度の来日公演などで思い出深い日本を「最も親近感が湧く愛すべき国」といい、東日本大震災の支援にも尽力しているという。
                                                ハマーは、ア軍本拠地での国歌独唱が内定した日本人演歌歌手の加納吾朗にも熱いメッセージを送った。加納は吉幾三のマネジャーを
                                                23年務めた後に、09年に「ばかだから…」で再デビューした60歳。約40年前に歌手修行したサンフランシスコで震災の慈善公演も
                                                行っている。ハマーは同じ苦労人の身として「Sing form the heart。魂込めて歌うんだ。一生懸命歌い続ければ、どんな夢もかなう」と
                                                力強く語った。
                                                 ハマーから大和魂を注入され、松井は出場23試合足踏み中の日米通算500本塁打に“キャン タッチ”です。




スポーツニッポンより
2011年7月20日

松井ハマーのエールに感激

 松井が前日のエンゼルス戦で始球式を行った歌手のMCハマー(49)から激励された。「彼は屈指のトッププレーヤー。
見ていてワクワクする。より得点力が重要になる後半戦は、打点を稼ぎまくってくれると思う」。松井も「少しあいさつができてよかった」と喜んだ。ハマーは今季中のア軍戦での米国国歌独唱に内定している演歌歌手・加納吾朗(60=徳間ジャパン)にもエール。
サンフランシスコで東日本大震災のチャリティーコンサートなどに励む加納に「魂を込めて歌ってほしい」と語った。




中スポより
2011年月20日

松井ホームゲーム
日本人歌手国歌独唱


 サンフランシスコ郊外で活動する日本歌手、加納吾朗さん(60)が、松井が所属するアスレチックスのホームゲームの試合前に国歌を独唱することになった。
日程は調整中。吉幾三のマネジャーを22年間務め、東日本大震災の復興にも熱心な活動を見せる加納さんに、17日の試合で始球式に訪れた
米歌手MCハマーさんも「心で歌ってほしい。がんばって」とエール。低迷する松井やチームを元気づけられるか。









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